2021年03月27日

イッピン「海・空・大地を器の中に〜沖縄 やちむん〜」

本日のイッピンは

「沖縄 やちむん」です。




「やちむん」とは、
沖縄の言葉で「焼物(=焼きもん)」のこと。




「やむちん」の特徴は、その素朴さと力強さにあります。
どっしりとした重量感のある器は、暖かみと風格あり、
人気があります。
「やむちん」
日本やChina、そして東南アジア諸国の文化の影響を受け、
長い年月をかけて作り上げられました。




1682年に、琉球王府が
県内に分散していた窯場を工芸産業振興政策として、
那覇市壺屋に統合。




ここから、やちむんの代表格である

「壺屋焼」(つぼややき)の
歴史が始まりました。


明治から大正にかけて「壺屋焼」は低迷期を迎えますが、
大正の終わり頃から柳宗悦ら民芸運動家により再生します。




柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らが来沖し、
壺屋焼の陶工に技術を研磨させ、
沖縄工芸の素晴らしさを
東京や京阪神に発信したことによって
壺屋焼は廃絶を免れ、
壺屋焼の陶工達は自信と誇りを取り戻し、
戦後に望みを繋げます。




第二次世界大戦後半、
沖縄は地上戦の舞台となったため、
大きな痛手を受けたのですが、
壺屋の復興がいち早く行われたために
徐々に壺屋焼の勢いを取り戻します。




近年になって、
那覇が住宅密集し、薪窯による煙害が深刻な問題となり
窯場の多くは読谷村の座喜味城跡の近くにある
やちむんの里の方へ移りました。




特に、人間国宝であった故・金城次郎氏が招致されたことから、
陶芸家達が「やちむんの里」に工房を構えるようになっていきました。


一方、現在でも
壺屋にも多くの焼き物屋が軒を並べていて、
やちむん通り」と呼ばれています。


やちむんの里
・住所:〒904-0301
・沖縄県中頭郡読谷村字座喜味2653-1番地
・電話: 098-958-4468





1.育陶園




沖縄の海のエメラルドグリーンを取り込んだ
人気のリム皿を作る工房です。
(昨年好評だったそうです。)


「リム皿」
リム皿の「リム」とは
お皿の一段上がった縁の部分のこと。
その縁があるお皿のことを
リム皿と言います。
リム皿のリム部分の幅も
お皿によって様々。
総じてリム皿にお料理をのせると、
お料理が映えとても美しく見えます。
更には実用性も兼ね備えているため、
使いやすく重宝します。


300年以上も壺屋でやちむんを作り続けていて、
定番は唐草文様の器です。




「彫」ではない新しい唐草模様を表現しています。




育陶園では他にもの2つのブランドを手掛けています。


1つは
シンプルで使い勝手のよい形で繊細な女性の手にも
馴染みやすい、軽さと薄さと持ちやすさの
手に取るたびにほっこりし、毎日の暮らしを心地よくする






もう1つは「時を味わう」をテーマにした
モダンで大人かっこいいやちむんをテーマに
器やシーサーを展開する





「Kamany」とは、「窯の根」のこと。
先人の手仕事に敬意を込めた
“原点を忘れないものづくり”を軸にしています。




壺屋焼はこの300余年の歴史の中、
沖縄の資源である土や釉薬を用い、
時代に合わせて変化しながら、
その技術は代々職人の手から手へと受け継がれています。




次代を担う若手職人の
「自分たちの世代の暮らしに馴染むような、
 新しい壺屋焼を生み出したい」という想いから
「Kamany」はスタートしました。




全国から陶芸家たちが集まり、
オリジナリティ溢れるやちむんを作っています。


壺屋焼窯元 育陶園
・住所:〒902-0065
    沖縄県那覇市壺屋1-22-33   
・電話:098-866-1635





番組では、佐藤藍子さんが次の3つの工房を訪ねました。


1.ノモ陶器製作所
     [読谷村/野本周さん]



真鍮から作られている釉薬を使って
「海の色を表現した皿」を焼いている
作家さんです。

釉薬の調合から成形、仕上げ、焼き上がりまで、
全ての工程を一人でこなしています。

ここから生まれる器は
オーソドックスな形のものが中心で、
日常使いにちょうど良い、
程良くシンプルで飽きのこないデザイン。

どこか自由でのびやかな表情を持ち、
毎日の食卓に彩りを加えてくれます。


2.陶器工房 壹
   [読谷村/壹岐幸二さん]

壹岐幸二さんは
30年前に京都から沖縄に移住。
琉球王朝時代に最上級された「白」に挑戦している
陶芸家さんです。
壹岐さんの代表作と言えば、
コバルトで絵付けを施した化粧土の器です。



3.土火人(つちびと)
   [うるま市/山田義力さん]

山田さんは、沖縄生まれ沖縄育ち。
沖縄の大地を感じさせる、
砂まじり、小石まじりの土の質感が
そのままのカップを
作っていらっしゃいます。

土火人の陶器の特徴の一つが、斑模様の器です。
陶器の中に
満天の星空が広がっているように見えます。
翡翠色をした器も特色の一つ。
光沢が漂いつつも、
どこか素朴な風合いとグラデーションが魅力的です。

posted by ぽっぷらいと at 10:25| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月23日

イッピン「復活し伝統を未来へ〜神奈川の工芸品〜」

今回のイッピンは、
神奈川県で復活された伝統工芸品が紹介されます。







1.中津箒





「箒」(ほうき)は、古くは神聖なものとして考えられていました。
出産を司る「箒神」(ははきがみ)という産神が宿るとされ、
『古事記』には、
「玉箒」や「帚持」(ははきもち)という言葉で表現され、
祭祀用の道具として登場しています。

「玉」は人間の霊魂のこと、
「箒持」とは箒を持って葬列に加わる人のことですから、
その時代の箒は祭祀用の道具として使われていたのでしょう。
庶民の間では、「払う・清める」という意味で
妊婦のお腹を撫でて安産を願ったり、
亡くなった人の横に置いたり
葬列の先頭で掲げたりして魔を払う、といったことが
なされていたようです。






実用的な道具となるのは平安時代で、
宮中で年末の「煤払い」の道具として使われました。
室町時代には、
「箒売り」という職業が生まれるほど
広く使われるようになりました。





江戸時代になると
「棕櫚箒」と「竹箒」がよく使われていたようです。
棕櫚職人が江戸や大坂に現れ、箒を編み上げていました。
「棕櫚箒」が普及した背景には板間が広まったことがあります。
毛先が柔らかく、しなやかな棕櫚が
板間の掃除に適していたからです。





江戸後期になり、
それまで武家階級にしか普及していなかった畳が
庶民にも広がると、
畳を掃くのに適した「座敷箒」が江戸で生まれました。




「座敷箒」は別名「東箒」(あづまほうき) とも
言われているように、関東を中心に急速に広がり、
東(江戸)は「座敷箒」、
西(大坂)は「棕櫚箒」が使われました。

そして、「箒」は農家が農閑期の副業で作っていましたが、
明治以降、都市部の近代化に伴って、
関東地方を中心とする各地に専業の箒製造業者が現れました。

群馬県の川場や栃木県の鹿沼、
埼玉県の上福岡、東京都の練馬、
そして神奈川県の愛甲郡中津村(現在の愛川町中津)も
そのひとつでした。





神奈川県中央北部に位置する愛川町は、
都心から50km圏内、横浜から30km圏内にあり、
町の西部には丹沢山塊の山並みが連なり、
東南部は相模川と中津川に挟まれた台地が広がる
中央部に位置しています。




秋川町の中津地区では、
明治初期から昭和20年代にかけ、箒作りが盛んでした。




中津の箒作りの歴史は
柳川常右衛門という人物に始まります。
幕末〜明治維新の頃、
常右衛門は中津村を飛び出て、諸国を渡り歩き、
箒の製造技術と原料である
「ホウキモロコシ」の栽培方法を学び、
故郷に持ち帰ったと言われています。

常右衛門の伝えた箒作りは中津村に広まっていきました。


<ホウキモロコシ>

柔らかいけどコシがあり、畳の目に穂先が食い込んでササッと掃き出しやすい箒です。
掃くと、材料の持つ油分で畳に艶が出ると言われ、現在も職人技が受け継がれている
江戸箒、松本箒、中津川箒などの座敷箒はこの草から作られています。


大正〜昭和初期になると、
箒作りは中津村周辺の一大産業となります。
中津村のほとんどの農家がホウキモロコシを栽培し、
男性は箒を作り、
女性や子供は「アミ」や「トジ」という
仕上げと飾り付けの作業を行って、
多くの人が箒作りに関わっていました。




ところが昭和30年代後半になると、
電気掃除機の普及などで生活様式が大きく変わり、
箒産業は衰退しました。
昭和40年代には柳川常右衛門から4代目に当たる
柳川勇次商店も廃業に追い込まれました。





「まちづくり山上」
          (柳川直子さん)

柳川直子さんは柳川常右衛門から6代目に当たります。
かつて柳川商店が暖簾分けした
京都支店の職人であった柳川芳弘さんから届いた箒を見て、
箒作りを復活させて後世に伝えていこうと決意。

平成15(2003)年に、
柳川商店の屋号であった「山上」を冠した
新会社「まちづくり山上」を設立。




中津に伝えられた技術で作られた箒を
「中津箒」と名付け、
種子を探すところから始まった
「ホウキモロコシ」栽培を軌道に乗せ、
昔ながらの箒の製造だけでなく、
現代の暮らしや仕事に合わせた新しい箒の開発も
行っています。

若手職人の育成にも注力し、
現在、10名程の職人が在籍しています。




また、
箒博物館「市民蔵常右衛門(しみんぐらつねえもん)を開設し、
日本の伝統的な箒の文化を残し、
現代の暮らしにあった形で「中津箒」を再興していくために
いろいろなイベントが行われています。


箒博物館「市民蔵常右衛門
 🏠 〒243-0303
   神奈川県愛甲郡愛川町中津3687
 ☎ 046-286-7572


『明日への扉』で、
箒職人 小林 研哉さんの紹介がされています。
 


また、「ポケットに愛川」というチャンネルでも
中津箒が出来るまでの動画が投稿されています。
 


<箒の使い方>
座敷箒の基本は、畳の目や板の目に沿って掃くこと。
穂先はなるべく立てて、時々向きを変えて、押し付けないようにします。
畳の縁などは、縁に沿って箒の穂先を立てるようにしてホコリをかき出し、襖や障子の下に固まったホコリは建具を持ち上げるようにし、穂先を使って、剥すようにしてかき出しましょう。

使わない時は吊るしておくことで、穂先が曲がるのを防ぐことが出来ます。
汚れがついた時は、水洗いして水を払い、風通しのよい場所に掛けておきます。
   
穂先にクセがついた時は、ぬるま湯に浸して形を整え、日陰干しをすれば、元の姿になります。
それでも傷んできたら、穂先を数mmずつ切って使います。
   
穂先は根元に行くほどに硬くなるので、最初は座敷用にし、使い減りしたら板の間や洗面所、更に使い減りすれば玄関用、土間用にと、だんだん下に降ろしていくのが昔ながらの使い方です。





2.横浜焼




開港間もない横浜の地に
全国の陶工達が集い、誕生した焼き物が
「横浜焼」です。




素地や顔料は
肥前や京都、瀬戸など様々な産地から仕入れ、
主に絵付けのみが施され、
主として海外への輸出向けに製作されました。

輸出されると同時に、
海外の宝石のような洋食器も持ち込まれ、
これまで見たこともないデザイン、形状、
そして華やかな色使いに
職人達は伝統だけに縛られない自由な発想で、
和と洋の感性と最高技術を取入れた、
今までの日本の陶磁器にはない焼き物
「横浜焼」を誕生させ、
世界を相手に腕を競うようになりました。




明治時代になり、日本を訪れ、
また万国博覧会を通して
日本の美術工芸品に魅せられた欧米の人達。
外国の人々の好みを反映し、
神業とも言うべき超絶技巧を凝らした品々が
製作されました。




中でも、京都から移窯してきた宮川香山は
いち早く「眞葛焼」(まくずやき)を築き、
横浜焼の先駆者として名を轟かせました。
その精巧華麗な作品は
1873年の「ウィーン万国博覧会」での名誉金牌受賞を初め、
あらゆる国内外の大博覧会で最高賞を受賞。
横浜には一時、400人ほどの陶工が集まり、
「世界の横浜焼」として輸出されていました。




しかし、窯元の多くは
関東大震災や空襲により途絶えてしまいました。

現在もなお、「横浜焼」を名乗り、活動を続けている
窯元がいくつかあります。


横濱増田窯
        増田博一さん




横浜焼の復興に尽力したのは
博一さんの父・先代の博さん。
横浜の焼き物に感銘を受け、
昭和40(1965)年、
かつて宮川香山氏の元にいた陶工を探し集め、
窯を開きました。




代官坂元町アントギャラリー
 🏠 〒231-0861
   神奈川県横浜市中区元町2−108
 ☎ 045-663-2228

posted by ぽっぷらいと at 15:27| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月20日

イッピン「うれしい工夫がいっぱいの木製品〜富山 庄川挽物木地〜」

今回のイッピンは、
富山県砺波市庄川町の


「庄川挽物木地」が紹介されます。





庄川は、
岐阜県北部及び富山県西部を流れ、
流域には、「合掌造り」で知られる
白川郷」や「五箇山」などがあります。




「庄川挽物木地」の歴史は、
川の流れを抜きには語れません。



「いいみず いみず」は、
庄川の伏流水が自然湧水する
広上地区の地下水を加熱処理し、
ペットボトルに詰めた天然水です


16世紀の末、加賀藩は
使用する材木を飛騨山地で切り出し、
庄川の流れを利用して送るという、
流木事業が始めました。
流木は庄川町地内の貯木場に貯えられ、
北陸における一大集散地となりました。


そして、江戸時代末期に
川の流れに乗せて送られてきた
この原木を利用して、
越後屋清次が
ロクロ木地の工房を開いたことが、
庄川挽物木地の始まりと言われています。
それ以前より
近くの山にロクロ師が居たという言い伝えも
残っていますが、いずれにせよ
庄川挽物木地は
100年以上の歴史を有していることになります。




越中では、
蔵を建てることと、
報恩講に使うお椀を揃えることが
夢だったそうです。




そんな越中の人々の夢に応えようと、
庄川の木地師達は技を磨いてきました。
現在では、34社が事業を行い、
生産高において全国有数の産地となっています。


− 工房の一覧(庄川木工挽物会) −
  • 加藤木工所  (カトウモッコウショ)
  • 但田木地工房 (タダキジコウボウ)
  • 野崎木工所  (ノザキモッコウショ)
  • 南部木工所  (ナンブモッコウショ)
  • 鈴木木工所  (スズキモッコウショ)
  • 酒井木工所  (サカイモッコウショ)
  • 内田木工所  (ウチダモッコウショ)
  • 斎藤栄次木工所(サイトウエイジモッコウショ)
  • 興栄産業   (コウエイサンギョウ)
  • わたなべ木工芸(わたなべもっこうげい)
  • 横山挽物木地 (ヨコヤマヒキモノキジ)


挽物木地の素材には、
主に「ケヤキ」と「トチ」、
そしてマツ、サクラ、イヌエンジュ、クワ、カツラ、
セン、イチョウまたはこれらと同等の材質を有する用材が
用いられています。


「庄川挽物製品」の種類には、
「磨きをかけた白木地製品」と、
「拭き漆の塗装を施したもの」があります。


「白木地製品」は、
材料として
全国の漆器産地へ送られますが、
最近は愛好家が彫刻や塗装を楽しんで、
オリジナルの器づくりをするために
購入するケースが増えています。




「拭き漆の塗装を施した製品」は、
独特の深い色調が
杢目を生き生きと蘇らせています。




木の素材を活かした
「庄川の挽物木地」は、
使い込むほどに味わいが増し、
環境によって光沢や色調の変化し、
世界でただひとつの、
使っている人だけの器になるのです。




昭和53(1978)年には、
「経済産業省指定伝統的工芸品」
指定されました。





     (わたなべ木工芸


わたなべ木工芸」さんは、
木を削る木地屋として
昭和25(1950)年に
富山県南砺市に創業しました。


昔ながらの庄川挽物木地の伝統的な技法で
木を削って、天然の漆を塗り重ね、
木の器を作っています。


木にこだわり、杢目の細かい材料を使い、
木の良さを生かすモノ作りをしています。
漆を厚く塗り重ねてあるものでも
完全に木目を消してしまうことはないそうです。


こちらの木目が美しい
紹介されました。


このパン切り台は、
パンはもちろんチーズやハムなど
何を切っても、なぜかとても
切りやすいということで人気のイッピンです。


わたなべ木工芸さんのブログに
撮影時の写真が掲載されています!


わたなべ木工芸
 住所:〒939-1662
    富山県南砺市福光6230−1 
 電話: 0763-52-0497





2.横山挽物木地


南砺市の伝統工芸士・横山勝次さんが作る
温かみ溢れる木の素材感を活かした、
おしゃれなイッピンです。


持ち心地も抜群で
注ぎやすいと話題になっています。




横山挽物木地
 住所:〒932-0223
    富山県南砺市松島604 
 電話: 0763-82-0696





毎年5月には、
開催されています。


庄川温泉郷もあります。
泉質は主に、
炭酸水素塩泉や炭酸鉄泉、
ナトリウム泉、ミネラル泉など。
火傷、切り傷、神経痛、リウマチ、
筋肉痛、慢性皮膚炎、慢性婦人病といった
効能が期待出来ると言われています。




  (うりわりしょうず)が湧いております!


     〜瓜裂清水〜
 全国名水100選に数えられている
 美味しい水です。
 美味しいコーヒーや料理の水として
 人気の高いです。
 およそ600年前、
 瑞泉寺の開祖である綽如上人が
 この地に休息に訪れた際、
 連れていた馬の蹄が陥没し、
 その跡から清水が湧き出たと言われています。
 その清水は、
 村人が献上した瓜が自然に裂けるほどの
 冷たさでした。
 冷たくて美味しい瓜を食べた綽如上人は
 とても喜ばれ、
 その清水を
 「瓜裂の清水」と命名したと
 伝えられています。


posted by ぽっぷらいと at 19:30| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月16日

イッピン「津軽の色を閉じ込めて〜青森 ガラス製品〜」

本日のイッピンは

「青森 ガラス製品」




青森市の伝統工芸の津軽びいどろは、
「北洋硝子株式会社」の自社単独ブランドです。




「北洋硝子」さんは、
青森県認定の伝統工芸士や
青森マイスターを中心とした職人さん達で構成される
ハンドメイドガラス工場です。




「宙吹き」「型吹き」「スピン」「圧迫」
「ピンブロー」など、9つの技法、
100色以上のカラーバリエーションを用い、
それまで「涼」のイメージの強いガラス製品を
「ぬくもり」のあるものにしています。




日本ならではの四季の色にこだわった
色を様々に組み合わせた
津軽びいどろの各シリーズは、
多くの人を魅了しています。




「北洋硝子」さんの歴史は、
昭和24(1949)年に
漁業用のガラス製の浮玉作りから始まりました。




当時は多くの競合企業があったのですが、
その中でも北洋硝子さんの浮玉の品質と耐久性は
群を抜いていました。




昭和50(1975)年頃に
プラスチックの浮玉が普及するまで、
北洋硝子さんが国内の浮玉生産の
約60%を担っていたそうです。




時代の変遷により
浮玉の主流がプラスチック製に切り替わりましたが、
長年培った「宙吹き」の技法を用いて、
青森の自然をイメージさせる
ガラス製品の創作に取り組み、
昭和52(1977)年に主力ブランドとなる
津軽びいどろを誕生させました。




「津軽びいどろ」は、
紀元前1世紀頃から受け継がれてきた
「宙吹き」の技法で作られています。




まず、津軽半島の西側に広がる、
七里長浜の砂(「珪砂」)を
約1400℃で溶融します。




そして、
ドロドロに溶けたガラス種を吹き竿に巻き取り、
息を吹き込んで膨らませ、
上下左右に竿を振りながら形を整え、
「津軽びいどろ」は出来上がります。







1.津軽びいどろ

「NEBUTAシリーズ」




東北三大祭りの1つ、「ねぶた祭」。




彩り豊かな「ねぶた」の色彩を
8色のガラスで表現したのが





燦燦と輝く太陽の光に映し出された影は、
きらきらカラフルでとてもきれい!
朝、昼、夕の光をかざして、
それぞれの表情を楽しむのも素晴らしいです!




マグや小鉢などアイテムが多彩なので
色々なシーンで楽しむことが出来ます。







2.彩手鞠
     (いろてまり)




「彩手鞠」はどこから見てもかわいくて、
まん丸なフォルムで手のひらに収まるサイズの
ガラスの一輪挿しです。




アロマディフューザとして使ってみるのも
ひとつのアイディアです。




名前も「桜風」や「若葉」など、
四季に由来するものなので、
春夏秋冬で揃えられる楽しさもあります。




シンプルにひとつだけ飾ったり、
たくさん並べて彩り豊かなにしたり・・・。
色々と楽しめます。




青森県十和田市にある
レストラン「青森りんごキッチン」にある
津軽びいどろのりんごの木が凄いです!








・所在地:青森県十和田市大字奥瀬字栃久保231 
     星野リゾート・奥入瀬渓流ホテル内
・電話 : 0570-073-022


posted by ぽっぷらいと at 17:00| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月14日

イッピン「スマートで丈夫!暮らし彩る縞模様 〜福岡 小倉織〜」

今回のイッピンは、

福岡県の「小倉織」が紹介されます。




「小倉織」は、江戸から明治時代にかけて、
豊前小倉(北九州市)の名産として知られた綿織物です。




特産地厚で丈夫、滑らかな木綿布で、
武士の袴や帯として織られ、
「武士の袴は小倉に限る」と言われ、
日本全国で広く愛用されていました。




その歴史は古く、
徳川家康が鷹狩の折りに
小倉織の羽織を着ていたとか、
細川忠興が他の大名への贈り物にした
などと言われています。




戦乱などにより、幕末以後は減少しますが、
明治29(1896)年に小倉織株式会社が開業し、
紡績糸と力織機を使うようになり、一時盛んになります。




かなり普及していたことは、
明治時代の文豪の小説の中に
小倉袴をはいた書生や若者が
たくさん登場することからも分かります。
このように盛んに生産されていた
小倉織でしたが、
明治後期に起きた金融恐慌の影響により
倒産・衰退。




昭和初期に途絶え、ほとんど姿を消し、
小倉織はすっかり忘れ去られてしまいました。


  


しかし長く途絶えていたのを
昭和59(1984)年に、
染織家の築城則子さんが復元、再生します。






平成7(1995)年には、
豊前小倉織研究所」が開設され、
小倉織の美しさに気が付いた人々の手によって
小倉織は蘇り、
多くの人々によって織られるようになり、
地元の文化としての新しい歩みを始めています。







    グッドデザイン賞に輝く風呂敷

1.「縞縞 SHIMA-SHIMA」




「小倉織」を復元した築城則子さんがデザインした、
新しい時代の「小倉織」として誕生したブランドが

縞縞 SHIMA-SHIMAです。




「縞縞」は、伝統ある小倉織の特徴である
丈夫で美しいたて縞を活かしながらも、
手織りにない広巾を実現した縞木綿です。




グッドデザイン賞を受賞した
縞縞の大定番の風呂敷からバッグ、小物類まで、
使い勝手の良い商品が色々あります。







たて縞がクッキリ美しい!
丈夫で使い込むほどに味わいの出る小倉織。
是非、使ってみたいものです。



他にも、築城則子さん監修の下、
明治以来100年以上に渡って作られてきた
「今治タオル」とのコラボタオル。




イッピン
の回でご紹介した
水鳥工業」さんとのコラボ商品は
丈夫で美しい縦縞を活かした鼻緒が魅力的です。









  縞模様をアレンジしたアクセサリー

2.「縞コロン」
縞コロンは、伝統織物「小倉織」を使った
アクセサリーブランドです。


特徴である美しい縦縞模様は、
さりげなく身に着けるだけで
上品な存在感を放ってくれます。
綿瀬麻意子さんの
熱い思いによって誕生しました。




綿瀬さんは
出産、転居、実母の病などが重なり
苦しんでいた時に、
ふと始めた子どものアルバム作りに
心を癒され、それがきっかけで
主婦からアクセサリー作家になりました。


そして更なる
ステップアップを考えていた時に、
「小倉織」に出会います。


綿瀬さんは
初めて小倉織を見た瞬間、
「モダンでかっこいい。
 ぜひアクセサリーにしてみたい」
と思ったそうです。




そして試行錯誤の末に
「縞コロン」を作り上げました。

posted by ぽっぷらいと at 07:15| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする