2020年03月17日

イッピン「伝統に磨きをかけて〜福岡 上野焼〜」

今回のイッピンは
「福岡 上野焼」
    (あがのやき)



上品な薄作りが特徴の上野焼は、
灰釉、銅釉、鉄釉など
使用する釉薬によって肌合いや艶が異なり、
窯元によって多様な出来映えとなるのが魅力的。


茶器以外にも
食器・花器などの
身近な生活用品も数多く作り出され、
伝統工芸の枠を越えたモダンな陶芸作品として、
広く親しまれています!




豊臣秀吉による
「文禄・慶長の役」により招致された
加藤清正公に従って帰化した、
李朝陶工・尊楷は
慶長7(1602)年、
豊前小倉藩の藩主となった
細川忠興候(三斉)に招かれて
陶土、水質に恵まれた
上野の地に窯を築きました。
これが、
上野焼四百年の歴史の最初の一歩です。
細川忠興は
利休七哲の一人にも数えられるほど
茶道に造詣が深く、
千利休から直接教えを受け
「茶禅一味」の奥義を極めた大名でした。


千利休が豊臣秀吉の勘気を蒙り、
堺に蟄居(後に切腹)を命じられた際、
見送りに来たのは
古田織部と細川忠興の
二名だけだったという
話が伝わっています。
尊楷は地名に因んで
「上野喜蔵高国」と名を改め、
細川忠興候の目に叶う、
格調高い作品が作られたと
言われています。


後に、
徳川家茶道指南役・
小堀遠州が選定した
「遠州七窯」の一つに数えられ、
中でも独特の温かみを持つ「上野焼」は、
当時の茶人に大変好まれたそうです。

[遠州七窯]
  • 志戸呂焼(遠江:遠州)
  • 膳所焼 (近江)
  • 朝日焼 (山城)
  • 赤膚焼 (大和)
  • 古曽部焼(摂津)
  • 上野焼 (豊前)
  • 高取焼 (筑前)

寛永9(1632)年に
細川家が豊前から肥後熊本に移封されると、
尊楷は
長男の忠兵衛と次男の藤四郎を引き連れて
共に肥後へ移り、
「八代焼」として知られる
「高田焼」の窯を開き、
上野には、
尊楷の三男の孫左衛門甫久(十時家)と、
尊楷の娘婿の渡久左衛門高利(渡家)の二人が残り、
両家は代々小笠原氏の御用陶工を拝命しました。
「十時家」「渡家」「吉田家」の
三家が藩の御用窯として
上野焼の生産を続けますが、
明治4(1871)年の廃藩置県で
小笠原家が東京に移住した後は
藩の支援を失い
独力で生計を立てざるを得なくなり、
明治の中頃に
上野焼の生産を
一時休止せざるを得なくなります。



しかし、
熊谷九八郎が
田川郡の補助を受け
明治35(1902)年に
「熊谷本窯」を起こし、
上野焼の伝統を存続させました。

昭和13年(1938)には
渡家」の6代久之丞の次男忠蔵の
子孫・渡源彦が、
肥後八代から尊楷の子孫である
上野勝蔵などを招いて窯を復興。

「十時家」は、
昭和17(1942)年以降に
上野焼十時窯」として開窯。


昭和12(1927)年には
高田得實が青柳と養子縁組になり
青柳不老園」を開き、
昭和14(1939)年には
熊谷九八郎と共同出資をしていた
高鶴萬吉の親戚である高鶴鱗作が、
昭和30(1955)年には
高田利明が青柳不老園から分窯して、
「高田窯」を開きました。



このようにして、
一時休業にあった上野焼は
伝統を維持しながら、
更にはその窯元数を増やし、
昭和58年には
国の伝統的工芸品の指定を受けました。


現在でも、
上野焼を振興させようとする取り組みは
多く行われています。



上野焼陶芸館」には
上野焼協同組合の窯元の作品が揃えられ、
それぞれの個性を楽しめる
ギャラリー的なレイアウトが注目です。

上野焼陶芸館
・住所  :福岡県田川郡福智町上野2811
・電話  :0947-28-5864(上野焼協同組合)
・営業時間:10:00〜17:00
・休館日 :火曜日


毎年は春と秋に開催され、
多くの人出で賑わいます。




福岡を中心とした一流シェフ集団
コラボレーション開発で生み出された、
「上野焼」の新たなブランドラインです。




1.薄手で口当たりの良いカップ
          (上野焼 庚申窯

 

上野焼の大きな特徴としては
薄作りが挙げられます。
茶陶として発展した上野焼は
他産地の陶器と比べると
非常に薄作りの軽い作りが特徴です。

 




2.上野焼「割山椒」
     (上野焼 渡窯
「割山椒」
(わりざんしょ)とは、
和食に使われる向付や小鉢の
一種です。
器の口の部分に
三箇所切れ目が入っており、
山椒の実がはじけた形を
表しているとされます。

今では
日本中で作られている形ですが
上野焼が発祥で、
400年前に茶懐石用の器として
創られました。




上野焼は緑青釉をはじめとして
藁白、鉄釉、灰釉、飴釉、伊良保釉、
紫蘇手、卵手、虫喰釉、三彩釉、
琵琶釉、透明釉、総緑青、柚子肌など
他産地と比較して
数多くの釉薬が使われていることが
特徴です。

その伝統の釉薬で絵付けをした
カラフルな皿が紹介されます。




posted by ぽっぷらいと at 19:16| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月10日

イッピン「薫る伝統の和テイスト〜香川 木製品〜」

今回のイッピンは
「香川 木製品」


四国の香川県高松市は、
香川県の県庁所在地であり、
中核市に指定されています。


「高松」の地名の由来は
諸説あるのですが、
「高松郷に
 天を突くような
 大きな松があったから」
とする説があります。


天正16(1588)年、
前年に豊臣秀吉より
讃岐国を与えられた
生駒親正が
「高松城」とその城下町を築き、
寛永19(1642)年には、
松平頼重が
東讃岐を与えられ高松城に入城。


以後、高松は城下町として栄え、
明治維新までには、
ほぼ現在の旧市内にまで広がりました。



香川県と言えば
「うどん」と言われるぐらい
「さぬきうどん」
余りにも有名です。

他にも、
瀬戸内海で大量に獲れる
小魚類を原料とした
「かまぼこ」
米どころ讃岐の
良質の讃岐米を主原料とした
「清酒」「味噌」「米酢」


香川県のほとんどの植林が
「ヒノキ」です。
香川県のヒノキの特長は、
目が込んだとても質が高いということ。

香川県は土地がやせているので
木の成長が遅く、
建築資材になるには
他県より10年程度余分にかかるそうです。
しかし目の込んでいるので
強度が高い良質な木材になるとのことです。


香川県の家具は、
古くは地元需要を満たすための
家内工業的なものでしたが、
戦後の需要の増大に伴い急進を遂げ、
現在では全国有数の産地を形成しています。

主な製品は、
座卓、婚礼家具、食器棚などですが、
その材質の確かさと堅牢さは
定評のあるところです。



  伝統工芸士 市原 吉博さん


和三盆や練りきりなど
和菓子をつくるために使われる
菓子木型をつくる職人は、
全国的にも数人しか存在せず、
四国では市原吉博さんただ1人です。

市原さんは
木に精密な彫りを施して、
立体感、そして使いやすさを追求しています。




  有岡良益さん


有岡さんは、
「肥松」と呼ばれる
松ヤニを多く含む黒松を使った、
木の温もりが伝わ
るボウルをつくっています。
塗料を使わなくても、
木目/の美しいボウルです。


 有岡さんの作品ではありませんが、




3.朝倉彫刻店
  朝倉準一さん


朝倉彫刻店は欄間彫刻を営んでいます。
欄間彫刻で培った知識と技術を活かして
多様な樹種のお箸や箸置き、
ボールペンなどの小物も
制作、販売しています。

ボールペンは曲線を描くフォルムが印象的です。
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2020年03月03日

イッピン「彩り豊かに 使いやすく〜三重 萬古焼〜」

今回のイッピンは
「三重の萬古焼」


     ー 萬古焼の陶びな ー



三重県四日市市の
代表的な地場産業であり、
昭和54(1979)年に
国の伝統工芸品に指定された
「四日市萬古焼」。


現在、四日市市と菰野町を中心に
窯元数は100社以上にも上ります。


その「萬古焼」は
江戸時代元文年間(1736〜1740年)に
桑名の商人沼波弄山が
茶の趣味が高じて
現在の三重郡朝日町小向に窯を築き
自分で茶器を焼き始めたのが
始まりとされています。


その作品が変わらずに
永遠に残っていくようにとの意味から
「萬古」または「萬古不易」
の印を押したのが
名前の謂れとされています。
そして
「萬古の印があることが
 いちばんの特徴」
と言われるほど形は多彩です。



1.大黒ごはん鍋
  (萬古焼 大黒窯


「土鍋」
萬古焼を代表する商品で、
国内シェアの約8割を占めます。


萬古焼の特徴は陶土にあります。
ロケットの塗装にも使われる
「ペタライト」という
熱に強いリチウム鉱石を
混ぜて焼くことで
強度がアップ。


耐熱性が抜群に優れていて、
直火や空焚きなどの熱に対しても
高度な耐久性を持っています。

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「大黒ごはん鍋」は、
かまど炊きのような
美味しいご飯が炊ける土鍋です。


一番の特徴は、
「火加減調整がいらないところ」。
オーブンやガスコンロで、
最初から最後まで
同じ火加減で炊くことができます。


ごはんだけでなく、
雑炊やカレー、シチュー、
鍋物にも使える万能土鍋です。


超耐熱性の製品だから、
冷蔵庫から出して
すぐに直火にかけても、
割れることがありません。


直火、電子レンジ、
オーブンいずれにも対応しております。

持ち手には、
職人さんの手跡が
残っている場合があります。
手作業のため、力加減により
どうしてもついてしまうそうですが、
味・・・ですかね。


<大黒ごはん鍋の特徴>
  1. かまど炊きのような美味しいご飯が炊き上がります。
  2. 火加減いらず。最後まで同じ強さで炊くことができます
    (9分〜15分)。
  3. マイナスイオンが発生するセラミック炊飯器です。
  4. マイナスイオンと遠赤外線で早くご飯が炊けます。
  5. オーブン、ガスコンロ(直火)に使えます。
  6. 炊き込みごはん、雑炊、カレー、シチュー、鍋物などにもご利用いただけます。
  7. 本体は超耐熱性のため、冷蔵庫からすぐに直火にかけても割れません。



< 炊き方(2合)>
  1. お米を洗い、30分浸水させる
  2. お米を大黒釜に入れ、内釜に彫られている下から2本目の線まで水を加える。
  3. 内蓋、外蓋をし、中火より少し強めの火で9分。
  4. そのまま10分蒸らす。



2.萬古焼の醤油差し
    (萬古焼 醉月陶苑/醉月窯


日本人の食卓に欠かせない醤油差し。

こちらの醤油差しは
醉月窯の清水醉月さんと
料理研究家の大原千鶴さんが
作り出したものです。


醤油差しで厄介なのは、
注ぎ口が液だれして汚れること。
そして
蓋の縁に付着する結晶が
掃除しにくいこと。


それを
注ぎやすい良質な急須で知られる
萬古焼の技で見事解決!
鋭く作られた注ぎ口は
液だれが生じることなく、
いつでも快適に使えます。

胴に合わせて
蓋はぴったりと合わさるように作られ、
口の周りに醤油が固まることもありません。

購入をご希望の方は、
醉月陶苑」に直接ご注文下さい。

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「紫泥急須」
萬古焼のシンボルです。


江戸時代に茶人でもあった
沼波弄山が
朝日町小向(おぶけ)に開窯、
茶碗を始め、赤絵などの
優美な作風の「古萬古」が
作られるようになりました。


明治時代以降、煎茶の流行を受け
急須の製作が始まり、
現在のような焼き締めの急須が
大勢を占めるようになりました。


萬古焼の急須の特性は、
その土に由来します。


「紫泥(しでい)」と呼ばれる
鉄分の多い土は繊細で、
扱いが難しいのですが、
窯でしっかりと還元焼成させることにより
何とも言えぬ美しい色に焼き上がります。


萬古焼の急須は、
使い込むほどに
お茶のタンニンと肌が反応し合い、
お茶の風味がまろやかになっていくと
言われています。





3.海外向けビアマグ


明治時代に入り、
阿倉川の白土を原料に、
木型、土型を駆使して、
文明開化の雰囲気のある
突飛なデザインの萬古焼が、
海外に大量に売り出されました。


そのひとつがビアマグです。


イギリス・スイス・オランダなどに向けた、
それぞれのお国柄を反映した絵が
描かれています。
posted by ぽっぷらいと at 19:12| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

イッピン「カラフル&アート コットンに革命を!〜兵庫 播州織〜」

兵庫県のやや東に位置する西脇市。
大正時代には
西脇の
北緯35度東経135度は
「日本の真ん中」と認定されたという
歴史を持ちます。

芸術家の横尾忠則氏を
輩出した地としても知られています。



「播州織」
(ばんしゅうおり)は
西脇市を代表する地場産業です。


「播州織」は
江戸時代中期の寛政4(1792)年に
比延庄村の宮大工・
飛田安兵衛(ひだやすべえ)が
京都西陣から
織物の技術を持ち帰ったのが
起源と伝えられています。


元々西脇市域を始めとした播磨国は、
温暖な気候を生かした
綿花栽培が行われており、
自給自足で衣料が作られていたことから、
綿花を原材料とした織物が
村々に次第に広がり盛んになりました。


また、西脇市域は、
播州平野から中国山地に移行する
地形の変換点に位置しているため、
加古川・杉原川・野間川などの
河川が集まっており、
染色業に不可欠な
水資源が豊富なことから、
織物業が発展する基盤が整ってもいました。


安兵衛は宮大工で、
京都で
再建に当たっており、
その傍ら織機製作を習得したことから、
当初は「菅大臣縞」がなまり
「勘大寺縞(かんだいじじま)」と
言っていましたが、
後に「播州縞」と改称しました。


明治時代後期には
力織機の普及により、
家内工業から工場生産への移行し、
西脇市域の生産は急増。


またこの頃、
「播州縞」から「播州織」に改称。
大正期には鉄道の開通で、
都市部での消費が拡大し
「播州織」の名は全国に広がりました。


第一次世界大戦後は
東南アジア向けの海外販路を拡大し、
輸出向け中心の産地に転換しました。


昭和に入ると
業者数・生産額ともに飛躍的に増大。
第二次世界大戦後も、
新製品の開発や
アメリカ市場の開拓による販路拡大により、
織機が一度「ガチャ」っと音をたてると
1万円儲かると言われた
「ガチャマン景気」と呼ばれる
空前の好況時期を迎えました。


しかし昭和40年代に入ると、
ドルショックやオイルショック、
昭和60(1985)年の
プラザ合意以降の
急激な円高の進行による
輸出環境の悪化を受け、
輸出中心の産地は大打撃を受けました。


その後も
バブル景気の崩壊、
デフレによる国内事業の低迷、
安価な海外製品の流入により、
厳しい事業環境が続いています。


播州織の生産量は、
昭和62(1987)年の
約3億8,800万uをピークに減少、
平成28(2016)年は約3,422万uと、
ピーク時の約8.8%です。


また輸出品の割合も
昭和62年の約60%超から
平成28年には約14.8%まで減っています。


 

こうした中、
平成16(2004)年には、
地元の繊維機械商社・
片山商店が中心となって、
多種類の材質・太さの糸を繋いで
織物を連続生産する世界初のシステム
アレンジワインダー」の開発に成功し、
多品種・小ロットの生産ニーズへの
迅速な対応ができるようになりました。

このシステムは
国内繊維産業の復活を目指す
画期的なシステムとして、
平成17(2005)年に
最優秀の内閣総理大臣賞を受賞しました。



また、
平成18(2006)年から
播州織工場跡地を有効活用した
播州織工房館」の開設、
産官学連携による商品開発や
ショップ経営など、
新たな取り組みを次々と展開しています。






1.播州織ストール「 fabori」
            (兵庫 播Bon


昭和43(1968)年創業の
産地に根付いた
100%日本製にこだわった
物作りに取り組む生地メーカーです。


お気に入りの1枚を
沢山の色柄の中から、
選ぶ楽しさを感じて欲しい・・・。


そんな思いから
英語の
・お気に入り (favorite)
・織物    (fabric)
・日本語の織り(ori)
を組み合わせて名付けられました。


播州織ならではの
先染め織物ならではの豊かな色彩と、
やわらかな風合いが特徴です。




2.播州織
  モールストライプシャツ
        (POLS(ポルス)


POLS(ポルス)は明治34(1901)年創業の
先染織物メーカー「丸萬」と、
テキスタイルデザイナー梶原加奈子さんとの
コラボレーションにより、
平成27(2015)年に誕生しました。

極薄のローン地に
ふっくらとした
起毛モールのストライプを配した
軽量シャツ地。


異なった素材を組み合わせて生まれる
立体的なコントラストは、
薄着の夏のコーディネートを
表情豊かに演出してくれます。


やや大振りなボールドストライプも、
やわらかなモール素材で表現することで
カジュアル感をプラスしてくれます。




      (玉木新雌さん)


玉木 新雌さんは福井県生まれ。


理想の布を探し求めるうちに
播州織に出会い、
兵庫県西脇市に移住。

播州織をアレンジした
「新たな播州織」を生み出し、
平成16(2004)年に
ブランド「tamaki niime」を
立ち上げます。


1965年製の
ベルト式力織機を導入し、
自らが織り上げる
「only one shawl」は
最新の機械では出せない
独特な織柄の立体感が評価され、
人気商品となります。


また経済産業省の
ザ・ワンダー500」にも選定され、
地場産業であった播州織を
世界ブランドにまで高めました。

現在は、ショールを中心に、
シャツ、パンツ、子供服、バッグなどを
製作しています。(online shop



ラベル:播州織 イッピン
posted by ぽっぷらいと at 19:42| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月11日

イッピン「料理を楽しく!もっと便利に!〜新潟 三条のキッチン用品〜」

今回のイッピンは、
新潟県三条市の「キッチン用品」。


新潟県のほぼ中心に位置する
三条市は
昔からの伝統を受け継いだ
「刃物」「作業工具」や
「金属洋食器」
「金属ハウスウェア」などの
工業製品の
一大産業集積地を形成しており、
国内はもちろん
世界にも製品の優秀性が
知られています。


信濃川の本流や
その支枝流が集まる
三条市は、
古くから
越後平野の要衝として
栄えました。


しかし、
信濃川の度重なる氾濫に
悩まされており、
農業以外の生業が
必要とされました。


幸いにも
鉱物資源が豊富で、
広大な山林から
燃料となる炭も
手に入れやすいことから
鍛冶業が
盛んになっていきました。


江戸時代には
「和釘づくり」
農民の副業として奨励され、
江戸の大火などで
需要が急増したこともあり、
産業は拡大、
専業の職人も育っていきます。


江戸中期には
仙台の渡り職人が、
金鎚で叩いて成型する工芸
「鎚起銅器」
(ついきどうき)の技が
お隣の燕に伝承し、
多様な金物が作られる土壌が
出来ました。


明治に入ると
和釘の需要は減少しまが、
三条は
「和釘づくり」から
「大工道具」、「打刃物」へと
鍛冶の技術を昇華。


一方燕は、
和釘や鎚起銅器の技術を
応用して
キセルやヤスリ、洋食器と、
産業を横に広げていくことに
なったのです。


平成21年4月28日に
指定されました。




1. UNILLOY
  (ユニロイ)
 [三条特殊鋳工所
「UNILLOY」とは、
「Unique-alloy」
(ユニークな合金)から
ネーミングしたブランドです。


「薄くて軽い」という
三条特殊鋳工所の
「唯一無二の新しい価値」と、
山田耕民氏デザインによる、
デザイン性を兼ね備えた
ブランドです。


「UNILLOY」の
一番の嬉しいポイントは
何と言っても軽さ。


鋳物とは思えない軽さに、
実際に使ってみると
驚く人が多いそうです。


「FCV鋳鉄」という技術を使い、
厚さ2mmという
驚きの薄さを実現しました。


お鍋の厚みを薄くすることで、
抜群の熱伝導を実現。


側面や底面から
ムラなく熱を伝えるため、
短時間で鍋内を一気に加熱。


温度が下がりにくく、
揚げ物はカラッと、
麺はコシがある仕上りに。


また鋳物の弱点でもある
重みを無くしたことで、
とても使い易いお鍋が
完成したのです。




2. キッチンスパッター
       [鳥部製作所
「鳥部製作所」は
鋏の専門メーカーとして
設立されました。


華奢なデザインがとても美しい、
鳥部製作所の
「キッチンスパッター」は
オールステンレス製なので、
錆びにくく、
ドライバーなどの工具を使わずに
分解できるので、
隅々まで水洗いができます。


キッチンバサミは
清潔に使えることが、
一番のポイント!


片刃には
細かなギザギザがついて、
魚、肉、ネギなどの野菜から
昆布のような乾物まで、
スムーズな切り心地。

エビやカニの爪といった
固い食材や脂の多い食材も、
ストレスなく
きれいに切ることができます。


炭素含有量が高い
ハイカーボンステンレス製で、
耐摩耗性、強靭性に優れています。





3. DYK ナイロン万能スプーン
DYK:ダイク

「 DYK(ダイク)」は
燕三条の大工道具の老舗、
「株式会社高儀」より生まれた
大工道具の製造を通じて培ってきた
技術と理念を活かして作られた
キッチンツールのブランドです。


中川政七商店の
業界特化型コンサルティング事業を
きっかけに開発が始まり、
PRODUCT DESIGN CENTER
鈴木啓太氏の
ブランディング
及び
プロダクトデザインによって
商品化されました。


「 DYK(ダイク)」の由来は
“Design Your Kitchen”。


「DYK」の
ナイロン万能スプーンは、
耐熱性に優れていますので、
火をかけた
フライパンや鍋の中でも
ご使用でき、
炒めや混ぜる等の調理シーンから
料理の取り分けシーンまで
万能に使用できます。


オールナイロンの一体成型で
継ぎ目がなく洗いやすいので、
汚れが溜まりにくく
清潔に使用できます。
posted by ぽっぷらいと at 19:07| 美の壺・イッピン・工芸品・手芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする